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てげてげブログ
2011-03-31

278)先人の教訓

  大震災からもうすぐ3週間になろうとしている。被害の惨状だけが目立つ報道だったものが、最近は被災者同士の助け合いの姿や、外国からの支援活動、ボランティア活動等の報道も増えてきた。原発安定化のために危険を省みず必死の努力を続けている自衛隊、消防、東電社員や協力会社の人達・・・感謝に耐えない。
  そんな中、昨日の読売の記事 『此処より下に家を建てるな・・・先人の石碑、集落救う』 が目に付いた。再録する。

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  岩手県宮古市、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

  『高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)』

  姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで 『此処(ここ)より下に家を建てるな』 と戒めている。
  地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

  地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の50メートル手前で止まった。
  地区自治会長の木村民茂さん(65) 「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」 と話す。

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  100年余りの間に、3回の大津波。なんと厳しい環境であることか。(2011.03.31)

    

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